Unit 02 キックオフペーパー: 農業政策の論点

東京大学大学院農学生命科学研究科教授 本間 正義 

  日本農業が変わろうとしている。TPP交渉の行方にかかわらず、日本農業は新たな生き残り戦略を練り、21世紀型ビジネスモデルを構築しなければならない。それは、長らく続いた戦後農政からの転換というよりは、戦後農政の基礎が戦時体制にあったという意味では、戦時体制を作った「1940年体制」からの脱却でもある。

 実際、長らく続いた、自民党・農水省・農協という「鉄のトライアングル」体制が崩れつつある。昨今のコメの減反政策の見直しや農協改革は、これまでの農政とは異なる展開を見せた。また、農政には依存しない果樹・野菜といった新たな農業ビジネスが育っている。今回の「農業政策の論点」では、2つの視点で日本農業を論じてもらう。

 1つは、新たな農業の展開である。今、日本の各地でこれまでには見られなかった農業ビジネスが誕生しており、日本農業の可能性を広げつつある。しかし、そこには問題点も垣間見える。農業政策はその問題の解決に資することができるのか。
 一方、伝統的農業はデッドロック状態にあり、衰退の一途をたどっている。その原因はなにか。論点の2つ目は、これまで農政を支えてきた体制の見直しとそこからの脱却である。旧体制にこだわるのは自民党でも農水省でもなく、農協である。それはなぜか。

 第1の論点を展開する大泉論文では、まず、先端的農業経営者がどのような取り組みをしているかを紹介し、そこに共通する特徴は、消費者ニーズを取り込んだ商品開発を重視するマーケットイン戦略と、生産から消費までの流れをトータルとして把握するフードチェーンの構築に重点が置かれていると分析する。しかし、彼らのフードチェーンはまだ力不足であり、付加価値増大のための取り組みも「1人バリューチェーン」の域を出ず、周辺への波及力は弱い。

 大泉論文は、こうしたフードチェーンの構築を妨げているのが、プロダクトアウトを基本にしている流通制度だと指摘する。コメの食糧法しかり、野菜・食肉・花卉の卸売市場法しかり、また生乳の指定団体制度しかり、日本の農産物はこれらの制度により生産者サイドと消費者サイドが分断されてしまっている。生産者が消費者から分断されることにより、自らがあたかも他から独立して存在していると錯覚してしまう。それが他産業との連携や農外者の参入を拒否する文化を作り、フードチェーンの構築を困難にしていると言う。日本農業の新たな展開を本格化するためには、こうした分断を支配している制度の根本的改革が必要なのである。

 第2の論点を展開する山下論文では、大泉論文が指摘する旧制度の背景に農協があることを論じる。日本の農協は戦時中の農産物統制業務を請け負った全国組織が戦後農協として引き継がれたものである。したがって日本の農協は自主組織ではなく官制組織である。いわば農政の末端実施部隊としての位置づけが当初からあり、それと引き換えに様々な特別待遇が与えられた。
 山下論文は、それらの特権を維持することに固執する農協が日本農業の衰退を招いたと分析する。特に、農協の手数料収入維持のため高米価政策が採られ、コメの減反政策が45年以上も続けられている。それを可能にするためコメの関税は輸入禁止的に高く設定され、WTOでもTPPでも関税削減に反対してきた。

 安倍政権が取り組んだ農協改革は一定の成果をあげたが、まだ道半ばである。コメ政策に関しては、新たな減反方式として、コメの飼料米への転換が推進されている。この巨大な補助金を伴う政策をやめ、コメの価格決定は市場に任せ、農家保護は直接支払に切り替えれば、内外価格差が狭まっている現在、輸出の可能性さえ広がると山下論文は説く。

 旧体制からの脱却には、政治改革も必要であり、「鉄のトライアングル」の解体が望ましい。政府・農水省ではかつて商社マンであった議員が大臣となり、また自民党も農林部会長にはかつて経済産業省の官僚であった議員が収まっている。農協改革の原動力となった規制改革会議の担当大臣は農業改革に熱心であり、それが官邸主導の農協改革にもつながった。農林族が強固な団結で改革案をはねのけてきた時代は終わったとみていい。

 こうした政治に変化がみられるのは、とりもなおさず農業の現場が変容しているからである。農協は旧態依然であっても、農業者は前に進んでいる。コメ農家では100haや200ha規模の経営者が全国に現れ、ICTや新技術を駆使する野菜・果樹農家も少なくない。酪農においても指定団体を通さず生乳を流通させる農家や流通組織も出てきた。

 農業政策の課題は、こうした新たな展開をいかにサポートし、多くの農業者をその輪の中にとりこんでいくかである。なにより、彼らの活動の邪魔をしないことが第一であるが、フードチェーンを分断している制度の抜本的改革が必要である。さらには、減反政策の撤廃、自由な農地取得を妨げている農地制度の見直し、そして農協改革のさらなる推進のため、農協経営の効率化と農協間の競争を促す政策が望まれる。


<参考文献>

  • 本間正義(2014)『農業問題:TPP後、農政はこう変わる』筑摩書房。
  • 大泉一貫(2015)新しい農業ビジネスSPACE NIRA小論文(Unit 02-A)。
  • 大泉一貫(2014)『希望の日本農業論』NHK出版。
  • 山下一仁(2015)農政アンシャン・レジームからの脱却SPACE NIRA小論文(Unit 02-B)。
  • 山下一仁(2015)『日本農業は世界に勝てる』日本経済新聞出版社。
  • 21世紀政策研究所 『新しい農業ビジネスを求めて』研究プロジェクト報告書(近刊)。