Unit 01 キックオフペーパー: 地方創生と医療・介護の自治体負担

学習院大学経済学部経済学科教授 鈴木 亘 

 東京一極集中を是正し、「自治体の消滅可能性」が指摘される地方の人口減少に歯止めをかけようという「地方創生策」が、安倍政権の新たな経済政策としてスタートした。現在、地方自治体への新たな交付金創設、東京から地方に本社機能を移転した企業への税優遇、政府機関の地方移転等が検討・着手されつつあるが、それらの中で最も効果的、かつ現実的な対策が地方への「高齢者の移住促進」である。

 すなわち、現在、都市部に住んでいる高齢者に、まだ元気なうちに地方に移住してもらい、直接的に地方の人口減少に歯止めをかけると伴に、彼らが近い将来、利用する医療や介護の需要によって、地方の若者たちの雇用も間接的に維持・創出しようという施策である。これは、地方と都市の双方にとってメリットのあるWin-Winの施策である。

 まず、地方にとってのメリットは明白である。地方の農林水産業や製造業が衰退してゆく中、それに代わって、これまで地方の若者たちの雇用を支えてきたものは、医療や介護などの「高齢者向けサービス産業」であった。しかし、もはや地方の中には高齢者人口が減少に転じたり、近い将来減少することが予想される地域が多く、せっかく維持してきた医療・介護人材や各施設が不要になりつつある。地方の高齢者人口減少に伴って、「最後の砦」と言うべき介護・医療人材、特に女性たちが都市部に流出し、少子化が加速して地方自治体が消滅する可能性が高い。こう警鐘を鳴らしたのが、昨年、日本創生会議から発表され、社会に衝撃を与えた「増田レポート」(日本創生会議2015)であった。高齢者の移住促進は、その流れに、歯止めをかけることにつながる。

 一方、都市部にも大きなメリットがある。東京や大阪等の都市部では、既に介護施設に入所できない「待機老人問題」が社会問題化しているが、今後、都市部において急速に進む高齢化によって、ますます問題が深刻化することが予想される。地価の高い東京や大阪等の都市部で必要な介護施設数を新設するとすれば、膨大な公費が費やされることになるだろう。しかし、移住促進によって、地方で空きが出てくる介護施設を利用したり、コストの安い地方での施設整備を進めることができれば、国全体では大きな財政節約となる。もちろん、望まない高齢者にまで移住を勧める必要はない。しかし、地方出身者が多い団塊の世代の高齢者にとって、医療・介護環境が整備されている地方への「里帰り移住」は十分に魅力的な選択肢であり、ちょっとした政策的後押しで人の流れが変わる可能性は十分にある。

 こうした中、地方への高齢者移住の最大のネックは、八田(2015)、鈴木(2015)が指摘している医療・介護の自治体負担の問題である。都市部から地方へ高齢者が移住した場合、彼らは地方自治体の国民健康保険や介護保険に加入することになる。しかし、日本の高齢者の保険料負担はわずかであり、彼らの医療費・介護費の方が大幅に上回っているから、高齢者の地方移住によって地方自治体の負担が増え、住民の保険料が上昇してしまう。これでは、地方にとって、都市部から移住する高齢者は「お荷物」であり、受け入れに消極的になるのも無理はない。しかも林(2015)が指摘するように、自治体は、介護施設の新設を許可しないことを通じて、高齢者の移住を抑制することができる。

 しかし、日本全体でみれば高齢者に対する負担は本来変わらないはずである。なぜ、地方の負担が増すのかと言えば、それは高齢者の移住によって都市部の負担が軽くなるからである。つまり、この問題の本質は、現行の国民健康保険や介護保険が「地域保険」として作られているためにポータビリティーが無く、高齢者の移住によって都市部から地方への「負担の押し付け」が起きてしまうということにある。

 この問題の部分的解決策として現在設けられている制度が、「住居地特例」である。これは、地方に移住して介護保険施設等に入居した高齢者については、医療保険の医療費・介護費を移住元の自治体(例えば東京の区)が負担する制度である。ただしこの制度は、地方の「施設」に入居した高齢者にだけ適用される。一般住居に移住した人には適用されないためきわめて限定的である。

 現在、安倍政権が進める国家戦略特区の場で、徳島県、高知県、秋田県等が「住所地特例」を一般住居に移住した高齢者にも条件付きで拡大することを提案している。しかしながら、「地域保険の原則になじまない」として厚生労働省が猛抵抗しており、「岩盤規制」として現在、議論がとん挫してしまっている。

 ところが実は、1)「地域保険」の枠組みを維持しながら、2)高齢者移住の妨げにもならず、3)国民健康保険や介護保険における自治体間の負担格差を改善し、4)小規模自治体の財政安定が達成されるという「一石四鳥」の魔法の抜本改革案がある。それが、岩本論文が提案している自治体間の「リスク構造調整」である(岩本2015)。これは要するに、年齢別に全国平均の1人当たり医療費・介護費を計算し、自治体ごとに加入者の年齢構成に応じて、国がその「標準的費用」(年齢別平均費用×年齢別人数)を各自治体に支払う仕組みである。これならば、高齢者がどこへ移動しようとも、各自治体には追加財政負担が発生しないから、地方は高齢者の流入を歓迎することになるだろう。保険料や税金は、全国単位の医療費・介護費総額を賄うだけの料率を計算し、所得や年齢に応じて徴収する全国一律の仕組みとすれば公平である。一方、自治体が医療機関のチェックや健康増進活動を怠る等して、標準的費用を上回る医療費・介護費が実際に掛かるのであれば、その分はその自治体の追加負担となり、その地域の保険料だけが高くなる。

 ただし、小規模自治体では、大数の法則が十分効かないため、上に述べたリスク構造調整が行われただけでは、林論文が指摘するように、小規模保険者としてのリスクを抱えるという問題は残る。この問題を解決するためには、小規模自治体に対する再保険のシステムを作れば、リスク構造調整は完璧になる。

 もちろん、現状の地域保険の枠組みの中でも、小規模自治体の財政安定、自治体間の負担格差縮小を図ろうと、林論文が詳細に説明しているように、さまざまな財政調整や補助制度が作られている(林2015)。しかし、これらは問題が起きるたびに追加されてきた例外措置や小規模対策の集合であり、現状ではとても複雑怪奇なパッチワークとなっている。根本的な設計思想の変更を伴っていないため、その効果も中途半端である。さらに大きな問題は、こうした財政調整・補助制度が、各自治体間の年齢や所得の違い以外の要素まで調整してしまうため、各自治体の保険財政運営に甘えが生じることである。経済学ではこれをソフトバジェット(soft budget)の問題と呼ぶ。現在議論されている医療制度改革では、市町村から都道府県単位への広域保険化が模索されているが、これではかえってソフトバジェットの問題を助長する可能性がある。

 これに対して、リスク構造調整方式であれば、運営主体は現状の自治体のままで、あたかも全国単位で保険を一元化したかのように年齢や所得の違いを調整でき、しかも各自治体の財政運営規律を緩めない。

 急速な少子高齢化や人口減少は、地方における「地域保険」の存立基盤を揺るがしており、これまでの対症療法で対応し続けることが不可能なことは明らかである。その社会保障改革という文脈からも、今こそリスク構造調整による根本療法を実施する時期に来ている。ただ、これまでの厚生労働行政の延長では、既得権を持つ関係者間の調整を、そのしがらみのある厚生労働省が行うことは難しいだろう。担当官庁の枠組みを超えた「地方創生」という観点から、政治主導で全体最適となる総合調整を図る必要がある。逆に、地方創生策にとっても、単なる規制改革や地方への財政分配を超えて、社会保障改革に踏み込まねば、本当に実のある成果が挙げられないことを、肝に銘じるべきである。

(2015年6月2日公開)


<参考文献>

  • 岩本康志(2015)リスク構造調整による新しい制度設計SPACE NIRA小論文(Unit 01-A)。
  • 林正義(2015)医療、介護と地方財政SPACE NIRA小論文(Unit 01-B)。
  • 八田達夫(2015)「地方創生策を問う(下)移住の障壁撤廃こそ先決」日本経済新聞201526日朝刊『経済教室』。
  • 鈴木亘(2015)「社会保障改革の視点(上)「混合介護」で労働力確保を 特養の統治改革急げ 高齢者の地方移住を促進」日本経済新聞201546日朝刊『経済教室』。
  • 日本創生会議(2014)「ストップ少子化・地方元気戦略」。